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【第7回】相馬市・郷土蔵 〜相馬の文化を足元で支える②

〜相馬野馬追とわらじ〜


相馬といえば、「野馬追」を連想する人は多いだろう。

この相馬野馬追は、相馬氏の遠祖とされる平将門が、野馬を敵兵に見立てて軍事演習したことに起源があるとされる。
そのうち、妙見信仰と結びつき、代々相馬氏によって行われてきた伝統行事かつ神事として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
例年7月に行われ、騎馬武者を500騎以上も集めるということだから、相当大掛かりで迫力があることは間違いない。
 
実物を見たことがなかったので、YouTubeで検索したところ、いくつか動画が現れた。
中でも最近のもので、昨年作られた動画があった。
昨年の令和2年においては、コロナ禍で、神事を中心に無観客で開催されたとのことだが、これは、この一千年も続く行事の歴史の中で、江戸時代の飢饉以来の初めての省略開催だということだった。
(参照:「相馬野馬追 一千年続くその理由」)


 

この動画の中で、総大将役の方が語ったひと言が胸に響いた。

「これが(コロナ禍が)一番大変なことだったの?と言われれば、そうではない。幾多の困難を乗り越えてきたDNA(遺伝子)が、私たちの中にある。」
 
この相馬野馬追に、この女性たちが作ったわらじが使われているそうだ。
 
「野馬追って、騎馬武者だの鉄砲隊だの、たくさん人を集めるんだけど、わらじが足りてなかったのよ。若い人たちなんて、わらじが手に入らないからスニーカーで参加したりして。市長さんが見かねて、私たちに『わらじを作ってくれないか』って。」
 
なるほど、そういう経緯があったのか。
確かに、一千年も続いている伝統行事で、しかも神事でもあるのに、スニーカーで出場するのはやはり見過ごせない。
 
「野馬追って500騎くらい出場するでしょ。3日間の行事で、一人当たり2足は必要だから、騎馬隊だけでも1,000足、他に鉄砲隊もあるから、結構必要なのよ。全国から買い集めるのにも、相当苦労していたのよ。」
 
今の時代、日常でわらじを履く人は相当珍しいとは思うけれど、「わらじ」と聞いて想像がつかないほどのものでもない。ある程度のお年を召した方だったら、わりと作れてしまうものかと思っていた。
しかし、そんなにも手に入りにくいものになっていたのか。
 
「今はなかなか作れる人がいないのよ。相馬の町にも作れる人がいなかったから、玉野村っていうところから、わらじを作れるおじいちゃんを探し出して、ここに車で連れてきて、グループでわらじ作りを習ったの。」
 
わらじ作り教室をスタートしたのは、2015615日(月)のことらしい。
展示室の壁に、その時の「キックオフ」と書かれた写真が掲載してあった。
わらじって、どれほどの期間でできるものなのだろうか。作るのは結構難しいのだろうか。



「初めの頃は、藁をよって1足作るのに、1ヶ月かかったのよ。もう大変で大変で。でも3年間、その(わらじ作り)講座を受け続けたの。おじいちゃんは、『100足編めば覚えるよ』って。その通り、100足編む頃には、わらじ作りも手についたわよ。」
 
毎回の講座で、玉野地区から講師の「おじいちゃん」を送迎し、その講座に参加した20名の人たちに、わらじ作りの技術が引き継がれた。
そして、今でも156人が、新たにわらじ作りを学んでいる。
このグループが、毎年600足くらい作っていて、相馬野馬追にそのわらじが使われているということだった。
 
どうりで、誇らしげに僕にわらじを見せてくれたわけだ。
その通り、これは誇るべき偉業だ!
二宮尊徳の教えの通り、「まず小より始める」ことが、大事を成した。
相馬野馬追という、一千年続く日本が誇る伝統行事を、まさに足元から支えているのだ。
 
「次に避難することがあっても、藁さえあれば、人に履物くらいは作ってあげられる。」
前田さんが、ぽそりとこう呟いた。
「相馬魂」とは、こういうことを言うのか。
それは、一本一本の藁を根気よく編んで作った、丈夫なわらじが醸し出す、素朴な美しさのようだった。



      筆:渡辺マサヲ