WALKER'S 東北復幸のいま 歩くことで伝えられるコト

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心の復興コミュニティ相馬市 イベントレポート

〜新たなチャレンジを見つけました〜

スタートセレモニーを待つあいだ、一人の男性参加者に声をかけた。
今回のイベントへの参加のきっかけと抱負をうかがった。

男性は大川一男さん。相馬市在住の80歳だ。
スポーティーな格好で背筋がまっすぐ、強い風のなか微動だにせず立っている。
ずいぶんお若く見えた。

「今回のイベントに参加したのは、『みちのく潮風トレイル』を歩いたことがきっかけなんです。2年前に思い立ちまして、青森から相馬まで、全ルートを完歩したのです。」

なんと、いきなりこのような猛者に出会うとは!
みちのく潮風トレイルは、青森県八戸市の蕪島から、福島県相馬市の松川浦までの三陸沿岸をつなぐ自然歩道で、1,025kmもの道のりがある。
その全行程をすでに歩いているとは。

(参照:みちのく潮風トレイルHP)


大川一男さん、絆ウォークに参加


相馬は、みちのく潮風トレイルの南の起点だ

「1日にだいたい30kmのペースで歩きました。ずっと通しで歩くのは仕事の関係でできなかったので、歩いては戻り、次に歩く時には、前の終了地点から歩く、といったように。あちこちで、寄り道もしましたよ。歩いてたら地元の人が『牡蠣食ってけー』って。」

1日30kmとは、なかなかのペースだ。
左手に太平洋を望み、地元の人との会話を楽しみながら、大川さんが歩かれた姿を想像する。

「ずいぶん前に病気をしまして、そのリハビリのために日常的にウォーキングをやってきていたんです。おかげさまで、かなり健康になりました。」

そうか、その長い積み重ねがあったのか。漂う「玄人的雰囲気」はそのせいか。
そもそも、みちのく潮風トレイルを歩くことになったきっかけは、なんだったのだろう。

「以前、なすびっていうタレントがそのトレイルを歩くイベントがあったんです。ゴールが松川浦の環境公園で。それを見て、私も歩きたいなって思ったんです。」

調べてみると、2016年3月27日の話だった。
なすびが、この大川さんを、1,025kmの歩き旅にいざなったとも言える。
ちなみに、なすびはこの後も、ネパールや熊本など、大きな地震で被災した地域を訪問している。
彼の満面の笑顔は、さぞかし、被災地の人々を励ましたことだろう。

「前回は南下したので、こんどは相馬から八戸まで北上してみたいと思っていました。今回の絆ウォークはちょうど良い機会です。」

もう、元気満々だ。
今後もこうして、新たなチャレンジを見つけて、元気に歩かれるのだろう。

「ええ、この絆ウォークが終わったら、ゴミ拾いしながら歩くのもやってみたいんです。ブンケンって人が道歩きしながらゴミ拾いしているんですよ。」

え?なんのことだろう?
よくよく聞くと、そういうテレビ番組の企画があって、福島県出身の俳優、鈴木文健(ぶんけん)が、福島県内を、ゴミを拾いながら歩いているらしい。
調べてみたら、YouTubeに動画があった。
(参照:「ブンケン歩いてゴミ拾いの旅」)

なるほど!これは一石二鳥だ。
しかも、本人自身がかなり楽しんでやっている。羨ましくさえある。
その元気でまっすぐな情熱が、人を惹きつけるのだろう。
そして、なすびやブンケンの影響力もさることながら、この大先輩の大川さんが、彼らの発信を受け止めて、「自分もやってみよう」とさらりと実行に移すところがカッコいい。

次々に新たなチャレンジを見つけて前に向かって歩く。
その若々しい後ろ姿が語るものは大きい。


〜子どもたちへの思い〜


ウォーキングラリーでは、ラグビー元日本代表の真壁伸弥選手が率いるグループに同行。このグループは、相馬サッカークラブジュニアの子供たちと、その父兄からなるメンバーで構成されていた。


相馬サッカークラブJr.の子どもたち

身長192cmの壁のような大男の登場に、最初は少し緊張気味だった子供たちも、すぐに真壁選手に打ち解けた。
「いま、つきあっている人はいますか?」
「フラれたことはありますか?」
などと、質問ぜめ。急速に間合いを詰めていく。
真壁選手もこれには苦笑い。
「おいおい、このお方をどなたと心得る」とハラハラして見ているが、真壁選手も楽しそうだ。
「子どもの質問って直球ですね」と声を掛けると、「これまでのところ、ラグビーについての質問はゼロです(笑)」と笑っていた。


真壁選手登場!

子どもたちに、「震災の頃の記憶はある?」と訊くと、まったくないようだ。
それもそのはず。10年前といえば、彼らは、この世に生まれていないか、生まれていたとしてもまだ幼すぎて記憶はない。物ごころつく頃に、町が復興でどんどん変わっていったことを覚えているだけだった。
歩きながら、後ろを歩く父兄の方々にお話をうかがった。


元気な子どもたちが前を進み、父兄は後からゆるりと着いていく

琥太郎(こたろう)くん、珀人(はくと)くんという、2人の元気な男の子のお父さんは、震災当時のことをこう語っていた。
「震災があった時は、海辺に住んでいたんですが、妻とその当時1歳の上の息子とは1週間連絡がとれなかったんです。もう気が気ではなかったですよ。」

地震の揺れについては頻繁にあった時期で、津波については「まさか」という状況だったそうだ。

「なにせ、以前は単なる高潮のことも『津波』って呼んだりしていましたから、『津波が来る』って聞いても、高潮を連想するじゃないですか。」

ウォーキングラリーでは、ところどころにクイズの関門があって、歩きながら防災の知識を得るように工夫されている。

「避難所までは、10mを5秒で歩く速度を目安にしましょう。2km歩けば、たいていの避難所には行けるので、10m/5秒の速度であれば、17分あればたどり着けます。」

子どもたちは、サッカーで走りまわっているせいか、10mを5秒で歩くことなどわけない。

「子どもたちには真っ先に走って逃げて欲しいですね。このイベントに参加したのは、防災教育の意味合いもあるんです。」
別のお父さんが話していた。

この親心を知っているのか、いないのか。
相馬中村神社の急な石段を、子どもたちが競いながら駆け上がっていく。
その様子を下から見上げて、お父さんたちが頼もしそうに目を細めていた。


神社の石段を駆け上っていく


     筆:渡辺マサヲ