WALKER'S 東北復幸のいま 歩くことで伝えられるコト

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【第5回】磯部水産加工施設 〜「常磐もの」を再び!②

〜東日本大震災、あの日、あの時〜


太田雄彦さんは、昭和45年生まれの50歳。

この水産加工施設の責任者としての威厳を漂わせた、精悍な顔つきをしていた。
東日本大震災以前からこの漁協に勤めていて、その頃は40歳の働き盛りだった。
 
「震災当時は、ちょうど街なかに出かけていたんです。車に乗っていた時に揺れを感じて、車内のテレビでも、地震があったという緊急速報が流れました。ちょうど前日にも小さな揺れがあって、津波警報があったんですが、その時の揺れはかなりのものでした。漁協に戻るつもりだったんですけれど、前年の11月に生まれた息子と妻が、保健所に3ヶ月検診に行っていたので、漁協には戻らず、そのまま保健所に向かいました。」
 
この東日本大震災の前には、まるで予行練習を強いるかのように、小さな地震が頻発していたのだ。
 
「そのあとは実家に避難しました。津波が届く地域ではなかったんです。けれど、その後で東電の原発事故の話があって、千葉の親戚の家まで行き、2週間そこで避難していました。」
 
福島のこの地域では、地震や津波から逃れて安堵したわけではなく、さらに放射線量からの逃避を強いられた。
その後は、どのように活動を再開したのだろうか。

 

 

〜震災からの再起〜



「津波で漁協の事務所が壊れてしまったので、相馬市から借りた仮設の事務所に入りました。最初は、とりあえず、壊れた事務所の泥かきを、ボランティアの方々と一緒にやりました。」

 
かつての事務所が復旧した後は、仕事の内容が、それまでとはガラリと変わった。
 
「以前は、漁業者がとってきたものを集めて販売する業務をやっていました。けれど、震災後は、補助金事業の手続きの仕事が中心になったんです。船を作るにも、操業を再開するにも、その補助金がないとどうにもならない状況でしたから。国や県は『お金を出します』と言いますが、『その手続きを一体誰がするの?』というと、漁業者は書類を作れませんので、我々漁協の職員が作らざるを得ませんでした。そういう自分も慣れない仕事で大変でしたが、その補助金で皆んなの生業が成り立つことになんとかやり甲斐を見いだして、必死でやりました。」
 
補助金さえあれば支援者がすぐにも救済されるわけではない。その中間に「複雑な」書類手続きが必要になる。太田さんは、まさにその「結節点」を担っていたのだ。
 
漁業の再開は、震災翌年の平成246月。海域を限定し、タコ類等3種類に魚種を指定しての「試験操業」が始まった。
 
「国の放射性物質の基準値は100ベクレルですが、ここでは更に厳しい50ベクレルを基準値に設定していて、それを上回る製品は出荷しません。検査体制を徹底しています。」
 
この地域の漁業者にとって、最も必要なものは「消費者からの信頼」だ。国の基準よりもさらに厳しい基準を設ける理由はそこにある。
太田さんたちは、今やれることを誠実に、一生懸命にやっている。
あとは、その新鮮さと美味しさで、築地市場でさえ一目置いた「常磐もの」を、買うか買わないかは、消費者側の判断次第だ。
 
「ここには魚を獲ってなりわいにしている漁業者がいる。その人たちのために、我々漁協の職員はいる。その使命を果たすという思いでやるしかないですね。まあ、他にやることもないんですけどね。」
 
照れ隠しが混じっていたが、強い使命感を受け取った。
自分の役割を知り、それをひたすらに果たそうとする。その姿は、間違いなくカッコいい。
 
インタビューの最後に、太田さんから伝えたいことはないだろうか?
 
「『福島の魚は安全で美味しいものなんだよ』ということを多くの人に伝えたいですね。たとえば、今、白魚が水揚げされていて、新鮮なものは本当に美味しい!この辺の人は、美味しい魚も美味しい食べ方も知っている。できれば一度ここに来てもらって、新鮮なものを食べてほしいですね。」

 

 














やはり、魚にかける愛情は、並大抵のものではない。

 
ただ、コロナ禍であるとか、今年に入ってにわかに頻発し出した地震だとか、気苦労は絶えないのではないか。
 
「まあ、あの大震災があって、いろんなこと経験したんで、それは、ちょっとやそっとじゃくじけないようにはなってますよ。ただ、この前(213日)大きい地震があった時、仲間と『こんど東日本大震災レベルのやつが来たらどうする?』って話したんです。そしたら、『もうやんねぇよ、やめっぺー』って(笑)。」
 
ああ、この人たちの魚が食べたい!
今晩は、腹いっぱい美味しい「常磐もの」をいただこう。
客足の絶えない直売所に並ぶ新鮮な魚たちを眺めながら、食欲が最高潮に達していた。



      筆:渡辺マサヲ